1887年 4月 13日 ~ 1945年
長崎県南島原市北有馬村今福(現在の南島原市)出身。
長崎大学医学部後、アメリカシンシナティ大学へ留学する。
10年間の留学で医学を学んだ敏事は地元の南島原市で医院を開業。
その後、茨城県知事宛「反戦主義者なる事通告申し上げます」を発し、逮捕される。
終戦後に死去されたことが分かるが、墓所遺骨ともに未だ見つかっていない。
末永敏事は1887年に長崎県北有馬村で生まれ、結核医学の研究に没頭した。
米国で研究し論文を発表後、帰国してい医院を開業したが、卑賤主義の信念から逮捕された。彼は内村鑑三の影響で非戦思想を広め、日中戦争時には軍務を拒否したことで知られている。
彼の勇気ある行動は当時の社会に大きな影響を与えた。
末永敏事年表 |
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西暦 | 和暦 | 出来事 |
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1887年 | 明治20年 | 末永敏事誕生(4月13日) |
1906年 | 明治39年 | 青山学院中東部卒業(プロテスタント系の新興校) |
内村鑑三に惹かれキリスト教徒になる | ||
1908年 | 明治41年 | 長崎大学医学部入学 |
1911年 | 大正元年 | 長崎大学卒業 |
1914年 | 大正3年 | 台湾総督府台北医院勤務 |
1915年 | 大正4年 | アメリカ留学 |
1924年 | 大正13年 | 排日移民法案成立 |
1925年 | 大正15年 | 治安維持法案成立 |
アメリカから帰国 | ||
1926年 | 大正15年 | 中村静江と結婚 |
1927年 | 昭和2年 | 博士号取得 |
1929年 | 昭和5年 | 長崎県南高来郡北有馬村(現 長崎県南島原市北有馬町)
似て医院を開業 |
1933年 | 昭和8年 | 敏事、静江と離婚
(自分だけで反戦を唱えるためという文通の内容が残っている) |
1937年 | 昭和12年 | 日中戦争 開戦 |
茨城県久慈郡美村折橋で末永内科医院を開業 | ||
1938年 | 昭和13年 | 茨城県鹿島郡結核療養施設「恩賜保養農園」に
結核医として入職 |
国家総動員法が施行 | ||
医療関係者職業能力申告令が出される | ||
反戦主義のため軍務を拒否する文書を送り、逮捕される | ||
1939年 | 昭和14年 | 国民徴用令と国民職業能力申告令が出される |
1945年 | 昭和20年 | 戦争終結 |
末永敏事死去、遺骨墓所ともに不明 |